azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

バズツイートは今日もバズってるなぁ

街で見かけたバズ・ツイットの時間です。

街を歩いていると、多種多様なバズッテイル・トゥイートに遭遇する*1。あるものは新製品への驚きであり、あるものは人に勧める商品か飯屋の類であり、またあるものは上のツイートのように怒りの発露である*2

そのうち、これは明確に「バズるべくしてバズった」お手本のようなツイートに思えるので、ちょっと考えるをしてみたくなった。ので今日は終わりまでこんな調子です。

問いかけは意味を持たない

文意を直接的に解釈しようとすると、これは問いかけ(あるいは疑問)のツイートになる。「女子にどうしてほしいの?」がこのツイートの主旨に見えるが、その答えは単純明快であって、化粧をしないでも(化粧をしたように)美人である女性ばかりであってほしい、という意になるだろう。ツイート内の問いかけは、すぐに解消可能な物であって、意味を持つものではない。*3

ではここで疑問が持つ、疑問以外の意味とは何か?これは思考過程の明文化であると思うんですよね。怒りを持つときって、たとえば「なぜこの人は○○なんだ?」という疑問を出発点として、理不尽な矛盾、道徳水準に対する咎め、被った不利益、まあ色々とある怒りの要素を燃料として、感情に火を付ける、という流れであると思うんだけれども、このツイートはその怒りの持たせ方がすごい上手い。

ツイートが疑問形で完結しているにもかかわらず、その回答が容易に導けるものであって、読者に対してスムーズに怒りを持たせる構造になっている。すると読者はこの怒りに対する共感、あるいは共同の発露を求めて、拡散する。めちゃくちゃ完成されたバズツイートの様式がここにある。

余談なんだけれども、こういう怒りを広める情報発信、多すぎやしないか?許せねぇ~って気持ちは理解するし、それを他人にも怒って欲しいというのも分かるんだけれども、それにしたって「さぁ!こんなに酷く醜悪な物事だぞ!民衆よ怒れ!」みたいな発信が多すぎる。それともなんだ、庶民が求めて良い娯楽は怒りだけなのか?地獄かよ。まあこの辺は、自分が怒るべき処に論理で怒れば、あとは怒りたがりの人たちが勝手に燃やしてくれるシステムということで、嘆くよりも便利に使っていこう。ぼくは「インターネット代理義憤システム」と(ものすごく適当に)呼んでます。

あと、怒りの次に来る感情としては「理解」ないし「諦め」であると思うんだけれども、これはちょっと心理的コストが大きい。たとえば所望の商品が店頭で品切れていたとして、店員に「なんでもっと仕入れないんだ!」とか「隣町の奴にホイホイ売るから俺らの分が無くなるんだ!」とか、まあ怒るのは感情の発散として容易なんだけれども、「人気だから/品薄だから仕方ないなぁ」とか「わざわざ隣町から買いに来る熱量なら仕方ないなぁ」とか、納得して怒りを鎮めるかの違いだよな*4。我慢を強いられる分、どう考えても後者の方が心理的なコストが大きい。自身の精神的なコストパフォーマンスだけを考えるなら、絶対に店員に対して無駄な怒りをぶつける方がマシなのだ。

主語はデカい方が良い

主語*5がデカいオタクは嫌われがちだが、バズツイートについては主語はデカい方が良い。その方が感情に直接訴えられる。論理的な正しさを求めるのならば、論文で殴り合うべきで、こういった(論理的な詰めなど出来ない140文字の世界という)文脈で感情的なやりとりをするんだったら、怒りの対象はより身近であり、抽象的であり、大きい方が良い。「政府高官」よりも「日本政府」、「日本政府」よりも「日本国」、である。それでいうと「日本死ね」とかいうバズワードもこの辺りの要素をなぞってるな。

この大きい主語の効果は、怒りの感情をブーストさせると同時に、社会をかなり綺麗に分割し、怒りの対象を明確化できる。ここでいう明確化は、具体化とは違って、矛先の向け方を大きく規定できる、ということ。上のツイートでいえば「こんなワガママを言う奴は、女性にどうあってほしいの?」と言えば主語は小さくなるが、怒りの対象が具体化するぶん、怒りの感情の前に、具体的な個人像の形成のようなワンクッションが入って、怒りの感情までストレートに持っていけない。対して、大きな主語であれば怒りの対象は抽象的で、かつ大規模であるから、その全体に対して怒れば良く、短絡的に怒りの感情まで持っていける。便利じゃん。しかも男性対女性というかなり分かりやすい二項対立で、直感的に分かりやすい構図を作れている。

さあ怒れ!と言わんばかり。今日もインターネット代理義憤システムは元気だ。

バズ・マーケティング

バズらせるのが上手い人は、本当にバズらせるのが上手い。これは細々とした分析よりも、本人の勘と手技なんじゃないかと思う。おそらく個人と思われる人が、バズるツイートの文脈を完全に使いこなしたツイートを繰り返し投稿して、それが高頻度でバズってフォロワーも増えていく、みたいなアカウントがいくつかあるように感じる(べつに統計的な色々とかやってないので個人の感想だけど)。

バズらせる力、言ってみればバズ・マーケティング力があるといえばいいか。社会的な不満を酌んで、上手く怒りの対象を入れ込みツイートすれば、「この人がまた痛快に私たちの不満を代弁してくれた!」と言わんばかりに拡散される構図。

うーん、もうちょっと平和なバズツイートが見たいけどなぁ。これだから社会はクソ(クソデカ主語)

*1:このように、単なるインターネットサーフィンであるにも関わらず、現実的な世界である街との接点を持たないがために、これを「街で」と表現してしまうのがオタクの所以である

*2:ここまで「Tweet」の表記ゆれが3種存在するが、特に意味はない

*3:まかり間違ってもここでその思想(あるいはそれに対する批判となる上ツイート)の是非を考えるつもりはないです。一応

*4:よく例えが下手と言われるので、ここでも例によって伝わりにくい例え話である

*5:明確には名詞なんだろうけど、「主語がデカい」という響きが好きなので、主語でいこう。適宜読み替えてほしい