azusatokohaの日記

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祝・新宿駅東西自由通路開放

去る7月19日、新宿駅では「東西自由通路」が開放された。これは、新宿駅内の行き来を自由にするという利便性向上だけでなく、ある意味で新宿駅の持っていた一つの「役割」にメスを入れる出来事であり、ふだん新宿駅にお世話になっている身として、他人事では居られないのである。

駅というものは、電車の乗降を行う空間として、地域市民に利便を提供する場でありながら、地域に「線路」という明確な分断を設け、文化の違いをも作り出す、一種の壁という「役割」を持っている。

その証拠に、単なる出口名が、ある一定の意味を持って「街の区画」を代表する名称となる事さえある。新宿駅では、その東口が歌舞伎町に代表される歓楽街、西口が都庁をはじめ高層ビル立ち並ぶビジネス街である。ところ変わって池袋駅の「東が西武で西東武」というフレーズは、駅と街の象徴性に対する結びつきの矛盾を示したものであると言える。やはり、駅の出口名を、街を象徴すべき名称として考える意識が見える。

さて、新宿駅に戻って、この東口と西口の違いというものは、明らかに「駅」という壁の影響を受けている。かつて街道宿として栄え、現在まで歓楽街として知られる東口と、比較的最近の淀橋浄水場跡地再開発からビジネス街としての名を高めることになった西口は、「新宿駅」という壁がもたらす回遊性の障害によって、互いに素の発展を続けていた。

今回の自由通路開放は、地下という空間に、大きな風穴を空けた事業であると言える。話がうまく進めば、オフィス街と歓楽街の境目は曖昧化し、融合化が始まるのかもしれない。昨今のCOVID-19騒ぎにおいて、「夜の街」と散々言われた街に、「昼の顔」が大きな存在として生まれたり、ビジネスだけではない「夜の活気」を持った街が生まれるかもしれない。

私の好きな「新宿」評に、次のようなものがある。

新宿は雑種の街である。これといった特徴もない。地理的に、人が集りやすいところというだけで人が集った街である。

江崎誠致『新宿散歩道』207頁より

なるほど新宿は、もともと土地の位置的有利性から宿場町が作られた、ただそれだけの街であって、その名前も内藤家の持つ土地に造る新しい宿場であるから、内藤新宿という、言ってしまえば情緒の無い地名である。周囲を見れば牛込、揚場、「情緒」ある地名が散見されるが、新宿はあくまで「新しい宿場」でしかない。また同書では、次のような評もあった。

(前略)新宿が近く一流の街になるということではない。
(中略)ひやかしているのではない。新宿に文化などありはしないことを、新宿人種が知っているところが良いと言うのである。
(中略)新宿の街の管理者が、有能なためか無能なためか知らぬが、上野あたりにくらべ、変に芸術づいていないところが、新宿の街のために幸いしている。(後略)

江崎誠致『新宿散歩道』209-210頁より

散々な言われようではあるけれども、新宿という街は即物的だ。そこに商売の出来そうな土地があるから、宿場を作った。そこに商人が集い、そこから電車を伸ばし、歓楽街になった。あるいは浄水場が移転すると聞けば、跡地に都庁を持ってきて、皆真似をして高層ビル街が成り立った。結晶が育つようにゆっくりと栄えていった場所ではなく、需要があり、それを満たす場があり、必要なものを必要なだけ置いて行った、そんな街である。

しかし、今回の自由通路開放は、二つの街を融合させ、新宿という需要が満たされただけの街に、新しい価値が生まれることになるかもしれない。まだしばらく新宿という街を眺めていながら、その結果を見られることに、少々の期待を寄せている。