azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

さようならを言いたい

以下、呪詛。

動画、映像、弄くり回すのはめちゃくちゃ疲れる。そのぶん、上手いこと行ったときの在る種のカタルシスは物凄く大きくて。それも一個人で追憶し得ない物を一度見てしまったし、それをもう一度見るための体力は無い。だからこそ間違ってはいないし、早いところ失恋として断ち切ってしまっておかねばならない。

映像ってものすごく力の強いツールで、映像、音声、単一の感覚に留まらない情報量を持っているので、これを弄るとなると相当の体力、それ以上に気力が要るんですよね。

非常に悪い表現として、一種の催眠的あるいは洗脳的な状態じゃないとぼくは"アレ"に中々対峙できなくて、鶏卵論だけど相乗的に気力の要請が高くなってくるというか。

その上で性質が悪いのが映像という輩で、アレは体力気力を全て持って行った先に、その状態でないと見られなかった映像を見せてくるんだよな。良し悪しはともかく、判断力を奪った上でそういうのを見せてくるのはズルい。

ただ根本的にそれをもう一度独力で見られるかというと、それは明らかに無理で。あらゆる条件がまた揃うことは無くて、もしそこに焦がれるなら天才になるか全てを費やして尽きるしかなくて。

費やして尽きるにはそこに地獄が見え透きすぎるというか、底が見えないというか。塞いではなかったけれども、曲がった先に何があるのか知らないわけで。

だったら正当じゃなくても真っ直ぐ進んだほうが良い、無駄に削る必要は無いし、曲がり道は塞ぎきっておいた方が良いでしょう。あくまでもそっちが直進方向。

正しさを求めて正しい道を目指すのは間違った行いではなく、遡及的に全てを正しさとして追認できる。正しさ故に映像を疎外することはないし。

正しさに向かっているはずが、映像に絶縁することのできない、未練の恋文。何の区切りにもできずに、恋慕をまた明確化するだけの絶縁状。

たぶんまだ暫く騙し騙しやっていくしかない。