azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

「やばいクレーマーのSUSURU TV」が与える言語への変質について

「やばいクレーマーのSUSURU TV」というネタが流行っている。ラーメン評論YouTuberの動画スタイルに似せたクレームを入れる、という形式で、声真似を発端に動画素材、定型文化している。この文脈については適宜まとめられているから軽く流すとして、「やばいクレーマー」のもたらす言語の変質を考えたい。

このネタは、一つの決まった流れを3回繰り返す、いわゆる天丼ネタの一つとしての性質を持つ。すなわち、
① ラーメン店は商品として瑕疵のあるものを提供し
② やばいクレーマーのSUSURUはそれを指摘、激昂
③ ラーメン店は謝罪の意として叉焼か土下座を追加する
という流れが繰り返されている。特に注目したいのは、②の激昂シーンである。

入店後ひとつめの瑕疵は、コップに水垢が付いていることである。やばいクレーマーのSUSURUは大声を上げ、威圧的態度をとっている。そして直接的描写はないものの、やばいクレーマーのSUSURUはここで相当苛烈なクレームを入れたことが予想される。コップの交換ではなく、チャーシュー追加を勝ち取る刺激的クレーム術であるが、この仔細が明かされていないのは、やばいクレーマーのSUSURUが手の内を視聴者に明かすことを嫌ったか、自身のクレームが常識の範囲外である自覚が無いためと思われる。

話が逸れたが、続いて二番目の瑕疵に目を向ける。これは、ラーメンのスープ内に虫が混入している、というものである。やばいクレーマーのSUSURUは「コラ〜!」と不快感を露わに、卓上調味料類を全て倒すという強硬手段に出た。ここで物質的危害を加えてきたことになる。同時に注目したいのは、このシーンの速度感である。

瞬間湯沸かし器である。意気揚々とおまけ叉焼付きラーメンに向かっていたのも束の間、虫を見かけた瞬間に怒りの声を出すことができている。この瞬発力こそが、やばいクレーマーのSUSURUをやばいクレーマーのSUSURUたらしめているのであろう。

最後の麺に髪の毛が絡んでいる、という瑕疵こそが本題である。SUSURU TV(本物)の決め台詞「啜る!」に合わせ、

先程確認した瞬発力の現れである。ここでやばいクレーマーのSUSURUは、遂に店(店主)側に「殺すぞ〜!」ときた。しかし、これは少し妙なことではないだろうか。

現代、「殺すぞ」などという言葉は多少軽く扱われているものである。何のんきにパズドラしとんねん殺すぞ、は冗談の範疇なのだ。であれば、店側に叉焼をさしださせていた、水垢の件でのクレームで、ポロッと口にしていてもおかしくない。しかし、やばいクレーマーのSUSURUは、3つ目の瑕疵にて、この店ではじめて、この言葉を発したのであろう。

やばいクレーマーのSUSURUは、「殺すぞ」という言葉に真摯に接している。全く許しがたい事だが、土下座して謝れば許してやらんこともない、そういう態度が、単なる言葉にとどまらず、実際に厨房へ入っていくという行動に移している。そういう、重みを持った言語である。

上記のやばいクレーマーのSUSURUによる強烈な表現は、容易に日常の会話へと取り込まれるであろう。もともと、「殺す」が軽率な言葉になり過ぎて、迫力を上げるため「ぶっ殺す」などと修飾して怒りを伝えている中、さらなる強烈な怒りを顕す事ができる言語は熱望されている。そんな最中、いきなり提示された回答が、やばいクレーマーのSUSURUが発する「殺すぞ〜!」なのである。

しかし、「やばいクレーマーのSUSURU並の殺すぞ」を伝えることは簡単ではない。何か象徴的な修飾語が必要になってくるだろう。そして、それこそが、「啜る〜!」なのだ。もはや、「啜る〜!」は、「殺すぞ〜!」に対する修飾的枕詞として機能し始めている。文脈的に「やばいクレーマーのSUSURU並の殺すぞ」という強烈さを伝える修飾語として。

殺すぞ、の乱発に否定的意識を持ち、大切に扱っていた「殺すぞ」が、やはり軽率な表現としての座を返上することなく、むしろ決め文句を軽率さを増す修飾詞として取り込まれてしまったやばいクレーマーのSUSURUの心中は、いかほどのものであろうか。