azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

シドニアの騎士 あいつむぐほし を見ました とりあえず一度拝見だけさせて頂きました

シドニアの騎士 あいつむぐほし を見ました。あい、つむいじゃったな。原作漫画の方をあまり追っていなかったので、エピソードとしては完全に初見だったので、様々なぶん殴られ方をしてきました。そういう日記です。

今回の「あいつむぐほし」は正直不安要素を持っていて、キービジュアルを見ても、うわぁ長道の顔こうなってるのか、これ受け入れられるか不安だなぁ、だとか、まぁ色々と考えて(しまって)いたんだけれども、全く問題なく楽しめた。ありがとう東亞重工重力祭運営局*1

なお、上記問題に関しては、長道が長道でしかなかった(言動とかをひっくるめて、TVシリーズの長道の延長線上に居る長道でしかなかった)ので無問題に受け入れる事ができた。人間を見た目で判断してはいけないということ。

更に、映画館の音響というものが、TVリーズでも視聴者を快楽の底に落としていたシドニアの騎士の音響を引き立て、全く Ah... Love... となってしまう。気持ちええ…気持ちええ…

以下、とりあえず1回見て覚えているここ好きポイントを箇条書き。具体的なシーンに言及しつつ覚えている範囲で時系列も何も無視して。

第九惑星戦役の正当な続きとして、しかし時間をおいてシドニアがきちんと準備を整えていたことが分かる戦闘シーン。新人たち。

そしてその年月を経て、きちんと身体の女性化を済ませているイザナちゃん。嗜好性が高い。

制作委員会名にもなっている重力祭の開催。TVシリーズで登場したあの重力祭以来の開催であり、その思い出として示される「星白との思い出」が、その後の涙量を増大させてくる。星白。それを模った胞衣。そして融合個体つむぎ、その新しい姿。それらに紡がれる星白の記憶・人格との、出会い、別れ、決別と再開。そういう感情を思い起こさせるのに、あのシーンは重要だった。なくてはいけなかった。「もう二度と」、あの台詞に重みを載せるために絶対に必要なシーンだった。

艦長が長道へ真実の過去を伝えるシーン。長道が自らの特殊性を知った、それがあっての「シドニアの騎士」としての決意は、艦長の誠意であっただろうし、長道の決意の彩りとして重要だった。これがないままだと、どこか片手落ちの感が否めなかったような気がする。

落合との最終決戦で、星白の名前を出されたとたん、撃たれた一発の弾。あれはどんな独白よりも、雄弁な一発であったと信じている。

その後のつむぎとのシーン。つむぎ、止めてくれ、と思いつつ、長道を救うためには止めてもらっちゃ困る。感情に来る。助けてくれ。今までで一番美しい泡状分解だった。

そして、シドニアの騎士を見ていて、もしかしたら初めてだったんじゃないか、と思ってしまう、ラストのポジティブな別れ。さよならシドニア

他にも語るべきことは沢山あるのだが、なにせ涙で全て洗い流してしまってね。また語る事もあろう。そういうことになった。


(6/10 追記) 2回目を見てきました。あのね、現実で苦しいことになってしまっている娘のね、空想の世界での幸せはね、見ていて辛いんよ。だからこそ刺さるし好きであるともいえる。

あと気になった点が一点だけあって、重力祭のポスター、「1年ぶりの開催」ってなってませんでした?Twitterを探してみても騒いでいるオタクがいないので、おそらく見間違いだったと思うんだけど、なんかそんな気がしてオヨ?となってしまった。3回目見に行くときにはちょっと見てみたい。


(6/15 追記)上記のポスター問題、無事気のせいだった。ちゃんとしている制作陣なので、少しでも疑ってごめんなさいの気持ち。

*1:正確には東亜重工重力祭運営局だが東亜重工フォントのイメージを持込むために東亞重工と記載させていただいております