azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

食券は食い逃げを防止することができる

なんか皆が宗教の持つ意味性みたいなことを話し始めたから混ざりたくなっちゃった。

宗教って言うとイデオロギー的というか、ノイズが混じってしまうんだけれども。特定の社会コミュニティと不可分の文化として「宗教」っていうのは古来からあって、そこに規範を求めることで社会の規律は保たれていたわけだから、別に悪いものってわけじゃない。現在まで綿々と継がれている礼儀作法のようなものも、文化であって、同時にそれと混濁した宗教なんだと言えるかもしれない。社会という宗教。

宗教の特徴として、定期的な集会や特別な儀式が設けられる、っていうのがあると思う。日曜日の礼拝であったり、断食といった宗教に根源を持つもの、日本においてもお坊さんを呼んでの葬祭の日取りなんかは、あまり意味が無いようにも見える。

けれども、これって恐らく宗教に対する帰属心の確認と、危害の事前排除なんだろうな。日常的な挨拶のようなもので、儀式に参加することによって、社会全体のコミュニティに対する敵対意識を否定し、あるいは反乱分子を早期に見つけて排除する、そういうシステムの一端を担っているものと見ることもできそうだ。挨拶をしない者が不気味と不審視されたように、礼拝に参加しない者は不気味で、村が総出で警戒すべき対象である。

こうして見るとやっぱり良く出来たシステムだな。求心と新しいコミュニティの成立に資する手法として使われるのも頷けるというか。より狭い社会に共通の行動的統一をもたせることによって、それに従わない人間を発見し、それをコミュニティにそぐわない人間として分離する。構成個体の純度を極限まで高め、宗教という存在に疑問を差し挟むことのないように仕上げられる。

でも、しきたり・慣習に従わない者を早期に見つけることができる、っていうのは非常に大きな利点になりうる。金銭が社会をめぐるようになって、あらゆる消費は無言のうちに契約として交わされ、それが誰も疑問を挟まない宗教として成立しているなら、それに従わない者は早期に排除していかなければならない。排除こそが、安心と信頼の社会システムを保護することにつながるから。

なので、水引は時と場合に合わせた意味合いのものを選び、金額は社会通念上相応しいとされる程度で、札はピン札だったり使い古されたようなやつだったり、なんかマナーがいい感じにしましょう!知るか!クソが!そーいうことに無駄に時間を使っているから衰退するので社会と宗教は一定度分離していたほうがお得

今日の特売品は文明です!!!