azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

ストゼロ文学の集大成に触れる

この前アサヒがストロング系チューハイを撤退するということで、インターネットが盛り上がった。個人的にはストロングよりも日本酒が高効率かつ趣があると思っているので影響はない。

で、すげぇ名文を見つけたので書き留めておく。

toyokeizai.net

前半はまぁ、お酒好きな人がストロング系と出会い、寝酒とドカ食いでしあわせ就寝してるだけなんだけど、しばらくすると狂い始めてくる。4ページ目でアルコールへの耐性が付き始めると、1日5缶のストロングを丁寧に選んで飲み干す生活に突入。

お酒の好きな味を求めて、いろいろな銘柄を試したり、あるいは遠出してみたり、というのは酒好きとしての形のひとつだと思う。ワインであればフルボディがなんだ、何地方のうんたらがなんだ、あるいは日本酒であれば甘口だ辛口だと丁寧に選んで色々試す人は多い。

やってることはスイーツ好きと変わらない。やれどこのブランドの何が美味しい、あれが繊細な味わいだ、これが見た目も美しいとやるのと同じだろう。でも選んでるのがストロング系なんだよな、ここが無性に"ズレてる感"があってまず面白い。

ストロング系ってそんなに慈しむというか、愉しむものだろうか?記事にある通り、一般的には「アルコールを大量に、それでいて甘味料で舌に優しく、コスパ良く摂取しましょう」という目的のモンだと思う。先のスイーツで言えば、どれだけ砂糖とクリームを一度に大量に摂取できるか、という世界だろ。

そしてスマートフォンにインストールしたという沖縄県の飲酒量記録アプリ。ストロング5缶のアルコール量をぶち込むと、シーサーは昏睡期として「小便を垂らしながら、白目をむいて倒れて」いるという。一見健康を気にしているようだが、実のところこれも日々の飲酒量を把握して節制するというより、いかに効率よくシーサーに小便ぶち撒けさせるか、というゲーム感覚に拍車を掛けている気がする。「筆者はこのシーサーに毎晩150g以上のアルコールを飲ませていた」←お前が飲んでるんだよ

私にはこのアプリの存在が、この記事にシュールさをもたらすひとつの要素に思える。シーサーが昏睡している通り、耐性がなければ命の危険すらあり得るアルコール量を摂取している。それなのに筆者はこうでもしないと眠れないと、毎日のようにその量を取り込んでようやく眠りについている。アプリの内と外で、「死の危険」と「生きる術」が同じアルコール量で隣り合っている。対比構造が美しすぎる。

更にコロナ禍に入り、更に飲酒量が壊れていく。仕事終わりの5缶が6缶になるのはまだ理解できるんだけれども、その次のステップが

出社が許可されるようになると、昼間に3缶ストロング系を飲みながら出社して、夕方に休息がてら勤務先周辺を歩き回りながら3缶路上飲み。

おかしくないか?普通、寝酒から連続飲酒へ至る過程って「昼間に飲酒して、あまつさえ酒が入った状態で出社するのは如何なものか」、という葛藤とドラマがあって然るべきだと思うのだけれども、この記事にはそんな描写が無く、1パラグラフで連続飲酒が始まっている。このスピード感凄すぎるな、もはや酒のせいでこの時期の記憶が欠落しているのではないかと疑ってしまうレベルだろう。

そして、帰り道にまた3缶飲みながら帰路につく(飲み歩きしやすいように、冬場はジャケット、夏場は胸ポケットが2つあるシャツを好んで着るようになった。なぜなら、補充の缶はポケットに入れたまま歩けるからだ)。

両胸ポケットストロング缶in飲み歩きマンが自然に完成している。やっぱこの辺りのスピード感おかしいよ。絶対酒のせいで記憶飛んでるんだって。

筆者自身も指摘しているが、この時点で何よりも、仕事はもちろん例えば「おしゃれな服装で居たい」などというちっぽけな欲求よりも、飲酒にどれだけ適しているか、いかに飲酒までスムーズに繋げられるか、という観点がすべての価値判断基準になっている。

効きの強い薬物は、その圧倒的な効果(と同時に圧倒的な離脱症状)によって薬物への欲求を全てに優越させてしまう、三大欲求すらも超越した欲求に据えてしまうと言うが、その片鱗が見えるともいえる。

さらに、家でもまた飲むのだから、1日にもう一体自分の体内にどれほどのアルコールが入っているのかすら、わからなくなってしまった(アプリのシーサーはとっくに倒れている)。

ここで興味深いのが、きちんと律儀に「うちな~節酒カレンダー」を入力している所だ。1日5缶の時点でシーサーは昏睡しているんだから、それ以上入力する意味も無いように思うが、もしかしたら昏睡期のその先に「死」とか隠し要素があると思っていたんだろうか?その答えはたぶん次の一節に示されている。

アルコール依存症の病院を紹介された。正直、「ようやく、この生活が終わる」と思って内心ホッとした。誰かに止めてほしかったのだ。

ついに病院送りになったわけだが、この時点で「昼間でも酒を飲まないと吐き気とめまいが止まら」ない状態であったにもかかわらず、ホッとしたという。以降断酒という宣告をされていながら、吐き気と眩暈の心配ではなく、ようやっと酒から離れる事が出来るという安心が勝っている。

思うにこの意識が、シーサーに律儀に飲酒量を記録し続けていた原動力であるのではなかろうか。流石に仕事中もアルコールが入った状態を継続し、朝昼晩とストロング缶を入れ続ける状態に、言ってみれば何かの大きなきっかけがあったわけでもないのに突入してしまっている。ずるずると引き返せないと思えるような地点まで来てしまっている。そこからの救いを、シーサーに求めていたように見える。

つまり、シーサーの昏睡と同じ量のアルコールが、自らの体内にあるという事をひとまず意識しようと飲酒量を記録してみるものの、今自分自身は生きているし、むしろ酒を飲まない事には生活が成り立たない程になっている。その現実をアプリの画面を通して、どこか他人事のように冷静に眺め、このままではいけないと気付きつつも、アルコールに溺れたきっかけが曖昧なのだから抜け出すきっかけも定かに見出すことは出来ない。たとえば何かの悩みが除去されたからと言ってアルコールから抜け出せるような明確なゴールというものは定まっていない。出来る事と言えば只、飲酒量をルーティンのように記録しながら救いを待つのみだったのではないだろうか。

それを示すように、健康診断と受診勧奨を以て断酒に成功している。

これまでの生活がたたってか、今は毎晩350ml缶のアサヒのノンアルコールビールサントリー「のんある晩酌 レモンサワー」、コカ・コーラ「よわない檸檬堂」、サントリー「ノンアルでワインの休日」の計4缶で睡眠薬を流し込むのが一日の楽しみである。

いや成功してないわ。やっぱ病気だよ。