azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

今更 O-Ku-Ri-Mo-No Sunday! にハマってる

アイドルマスター シンデレラガールズ の新規楽曲追加ペースが落ちるっていうニュースが以前あった。Taku Inoue の曲を浴びたり、最近は O-Ku-Ri-Mo-No Sunday! とか #UNICUS 曲にドはまりしてる身なので、厳しい世の中だねーという感情がある。

アイドルマスターシリーズってその辺りが難しいなと思って、ゲームストーリーとして「アイドルを育成して成功を目指す」というものがあり、プレイヤー自身によるプロデュースの成功/失敗があるわけだけど、その外側にシリーズとしての商業的な成功/失敗がある。特にソーシャルゲーム/オンライン系のゲームだと運用を続け得る採算ラインが存在し、それはゲーム内の成功/失敗とは関係なく、メタ的な「世界」自体の成功/失敗となるので、プレイヤー自身からはどうすることもできない不条理となる。

例えばデレアニなり何なりのメディアミックスの時であっても、商業的な判断を基に押し出すキャラクターを決めるわけで、そこから漏れたキャラクターを推すプレイヤーは、自身のプレイング上は「成功」しているわけで、不条理に感じるかもしれない。

そういうゲームシステムに込められたある種の矛盾は、商業的に順調である間はある程度埋められていた(ロングテールというか、そこまで人気の出ないキャラクターであってもきちんと出番が回っていた)が、競合が増え、作品が古参・飽きられ始めると、いわゆる選択と集中の局面になり、ロングテールは切り捨てられる。そう考えると、パイの奪い合いからあぶれるキャラクターは冷遇され、「世界」の失速の煽りを受ける。

まあ良くも悪くも現実世界と同じだよね、と言えばそれまでだが、ゲーム内世界はその厳しさをある程度オブラートに包んでいる。一度の失敗は次のプレイングの糧となるが、現実世界ではそうはいかない。優しい世界化されているゲーム内が、現実的な経済に押しつぶされたとき、「こんな世界じゃなかったはずなのに」というプレイヤーの感情をどう上手くハンドリング出来るか、は結構重大な気がする。