azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

良いものを作る、という麻薬

「ただ単純に、良いものを作り続ければいい」、これは麻薬だ。あるいは、そんじょそこらの麻薬よりも性質が悪い。柔な報酬系回路など粉々に破壊しつくされ、人を狂わせる残虐な麻薬だ。何を言っているのか自分でも分からないが、それほどまでの麻薬だ。人は簡単に狂う。

「良いものを作り続ければ、それだけでいい」という状態は、競争の論理では理想的なようであって、まったく不自然な要素を帯びる。「アクションに対して、常にポジティブなフィードバックがある」まったくスキナー箱の状態、つまりパチンコかガチャのそれである。

スキナー箱。行動することによって自分にとって好ましい反応を得ると、その行動を反復するようになる、「ネズミがエサを得るためにレバーを押し続ける」アレだ。コレとまったく同じ構図が、生まれてしまうわけだ。報酬系を破壊された人間は自然「良いものを作る」ことに執心し、たとえ最早ポジティブなフィードバックが得られないとしても、それを願ってしまうわけだ。人間は愚か

私もそれを拗らせているわけだが、もうひとつ、noteのこのエントリが思い浮かんだ。

note.mu

VTuber脳。おお恐ろしい。構図は同じであって、バーチャルYouTuberとしての活動を行うことで、ポジティブなフィードバックを得ると、最早その成功体験を忘れられなくなるわけだ。バーチャルYouTuberというスキナー箱がここにもあった。

また恐ろしいのは、バーチャルYouTuber界隈の視聴者が、新しい推しを「発掘」し、より多くのスキナー箱被害者を生み出す方向に動いている、ということだ。むろん、彼らに悪意はないし、見かけ上、すべての人に利益のある行動である。ファンを獲得できるバーチャルYouTuber本人、そして新たな刺激的キャラクターを見出し、時に「古参」として成長を共にし、また毎日の娯楽を増やせる視聴者自身にとっても、好ましいこととして映る。だが、その善意は、不自然な報酬の設定そのものでしかない。

「この世界が優しい
だから宝探しで誰かに光が差し」

MonsterZ MATE - Up-to-date feat. かしこまりより

とはいえ、ここまではそこまで危惧すべき状況ではない。脳を焼かれ(あるいは報酬系を破壊され)、引退できなくなったとしても、活動出来得る限り活動を続けるのは、視聴者としても喜ばしいことだ。では何をそこまで騒ぎ立てているのかと言うと、ここに「現代日本的病巣」を感じてしまって仕方がないのだ。

「良いものを作れば売れる」、これは今までの日本の二次産業で多く言われてきたと思うけれども、今や死語も同然であると感じる。つまり、「良いもの」が世に溢れ、「良いもの」という根源的価値だけで勝負できなくなったとき、いかなる付加価値をもって「売れば」いいのか分からなくなってしまったのだと思う。正しく生き残る道はあったのか、私には分からないが、付加価値が無いなら、付加価値を持つ「良いもの」に負ける。あるいは、付加価値を持つ「ふつうのもの」にさえ負ける。

バーチャルYouTuber、同じ轍を踏み始めてはないだろうか。界隈に「良いもの」が溢れて、売り方が分からないままの、凋落。あるいは、もう手遅れなのだろうか。