azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

「英語を読める」必要は無い

英語は大事だよな。わかる。海外観光に行くなら英語は喋れた方がいい。現地の言葉をいちいち覚えるより、英語で色々聞けた方が良い。なんといっても汎用性が高い。汎用性が高いことは良いことだ。携帯電話の充電器も全てmicroUSB・TypeCに取って代わられた。PASMOSuicaも今や全国津々浦々で使えるようになっている。QRコード決済も早く共通規格で相互利用しような。でも今日は汎用性ではなくて英語の話なんだな。

英語を読めることが無駄なスキルだとは思わないけれども、正直ローマ字を読める程度でいいんじゃないかなあ。なにせ海外観光で必要なのは英会話力なので、「英語を読める」スキルとはちょっと違う。英会話力は言語能力というよりコミュニケーション能力なので、身振り手振りでも伝われば勝ち。ふいんきで人と話している。更に言えば英会話力は「読む力」ではなくて「聞く力」「話す力」だもんね。それに案内看板も固有名詞を読めればあとは矢印が読めるかどうか、固有名詞はローマ字さえ読めれば分かる。とりあえず海外に観光に行く旅行で英語を読む必要はなさそうだなぁ。

じゃあ英語を読むときってどんな時だろう。私の日常生活に限って言えば、情報を集める時、それに尽きる。最新の情報とかマニアック情報は、地球のマイナー言語であるところの日本語での情報がないので、英語情報にあたる必要がある。悲しいなぁ。

ただし英語情報にあたる、イコール「英語で読む」である必要はない。だってGoogle翻訳があるもん。英語情報に辿り着けるならGoogle翻訳を上手く使えるリテラシーがあるだろうし、英語を読むことでスキルが得られるなら、Google翻訳を使うことでも機械を上手く使うスキルが身に付くはず。むしろその辺りの情報リテラシーが無ければ、仮に英語を読むことが出来ても、読むものが見つからない、で終わってしまう。それよりかはGoogle翻訳で、まずは読みたいものから色々読めたほうが有意義じゃないか。

もちろん英語の読み書き能力がいつ必要になるかは分からないので、読める技術があるに越したことはないんですけど。(OCR不能な英語pdfを眺めながら)