azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

修理する権利ってやつ

最近のスマホは電池パックが内蔵型で、劣化して膨らみでもしたら(いわゆる妊娠)(それ、いわゆってるか?)即本体ごと交換、がセオリーになっている。iPhoneなんかは野良の修理屋さんがあるけど、基本的に公式保証が無くなる。

そういう意味では、かつてのガラケーは、電池パックの交換ってのが常識だったし、初期のスマホ(2012~14年くらいまで?)にもその形式が踏襲されていた。なんとなく、1年くらい使うとバッテリーが劣化するから、バッテリーパックだけ交換しときましょか、のノリがきちんとできた。

最近、似た概念として修理する権利ってのが叫ばれている。バッテリーの交換やらディスプレイ交換やらをユーザーにきちんと権利として提供する、という話で、権利先進国様の思想だなぁという感じだが、どうもこれは「修理する権利」というより「アンチ・サブスクリプション」って印象がある。

今の修理できないスマホって、「少しでも使えなくなったら新品を買いましょう」という商売で、非常にサブスクリプション的だと言えるんじゃないだろうか。常に最新バージョンを手に入れさせ、企業が提供する価値というのはスマホ本体ではなく、それを通じた体験にある。

故に、中古市場に対しては非常に冷ややかになり、企業としてはなるべく新品を使わせるため、「新品だからこそ」としての価値を付けようとする。保証はもちろん、クラウドストレージであったり、シンクライアント的な情報処理であったり。

もし修理する権利が、サブスクリプションビジネスに対するNo、あるいはブレーキだとすると、そういうサブスクリプション化に対するブレーキになり得る気がする。あるいは、旧バージョンを使う権利としての、ソフトウェアのサポート(セキュリティアップデート)の主張とか、色々広がりがありえそうなので、企業にとってはリスク項目になるんだろうなぁ。

自動車はリコール費用が新車価格に載っている気がする