azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

虚無おじ、という神託

ポケェー…っとツイッタを眺めていたら、「虚無おじ」の写真がたくさん流れてきた。

虚無おじとは、人気バーチャルライバーグループにじさんじの公式番組において、にじさんじライバーの表示された(メタい言い方だな~)タブレットを持ち、二次元キャラクターとして存在するライバーと、三次元的空間をつなぐ、虚無の顔をしたおじさんである。番組のADさんらしい。

なんでも、にじさんじライバーのひとり、叶くんの外ロケが行われていたらしく、虚無おじが叶くんを手に発見された、らしいのだ。

さて、この虚無おじの人気に、今回合点がいった。なるほど虚無おじとは神託を受けた存在であり、にじさんじライバーの偶像であり、二次元的存在と現世をつなぐ儀式的舞台装置なのである。なんのこっちゃ、であるけれども、民俗学的な意味づけを感じずにはいられなかった。

そもそもにじさんじライバーは、二次元キャラクター的存在である。YouTube等で活動をしている以上、さまざまなデバイスで見ることはできるが、実態は異次元の存在であって、YouTuberのように、偶然であっても直接「会う」ことはできない。どこまでもデバイス上の存在であるわけだ。

妙な言い方をすれば、にじさんじライバーは、不可触、異次元、かつ偏在する存在、つまり私たちが直接かかわることのできないような、神仏的距離感をもって接する存在なのかもしれない。崇拝の有無とか、信心といった意味ではなく、決して対面のやり取りをし得ない存在として扱うことになるわけだ。実在性が保障され、直接的な対話が決して不可能とは言えないYouTuberや芸能人とは対照的であるし、あるいは物語上役割に徹している二次元キャラクターとも性質が異なる。

はたして、虚無おじは、その異次元的存在と現世をつなぐ役割をもつ。であれば、彼の役割は古典的に言えばシャーマンである。文字通り、神仏的存在を手中に託され、しかし自発的言動は一切求められず、異次元の存在を現世に表出させる装置としての役割のみを果たすものだ。(物理的)神託を受ける存在、あるいは、異次元と現世とのつながりを体現した舞台装置としての存在、それこそが虚無おじなのである。

であれば、虚無おじには虚無的表情以外は似つかわしくない。古来より、神秘的儀式においては、仮面などで顔を隠すことが多い。虚無おじにとっては、虚無的表情が仮面であり、神託された証であり、素顔としての表情変化は、舞台装置として不要である。虚無おじは、異次元と現世の通信媒介装置以上の意味を持てないことになる。

やがて、儀式的意味付けのなされた装置に対しても、神仏の偶像として畏怖と信仰がなされると考えるならば、それこそが今回私がTwitterで見た虚無おじに対する言及である。にじさんじライバーへの言及と同列に、虚無おじが知られ、語られる。同時に、その存在は、虚無おじのパーソナリティというよりも、舞台装置としての役割が求められる、ある意味で概念的なものになる。

いわゆるアニメコンテンツツーリズム、聖地巡礼であるとかの、宗教的意味を感じるファン活動の一部に、虚無おじに対する考え方があるのかもしれない、と思いながらTwitterを寝転がりながら眺めている日曜日。透明なWeekend