azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

アウトソーシング環境構築

何らかの文章を書くときに、第一選択肢になるのはWordあたりだと思うんだけれども、Wordって見出しとか箇条書きの連続性とかがイマイチ分かりにくいんですよね。そこは番号を続けてほしくないんだ…とか、いやここは前倣えの番号を振ってほしいんだよ…って時に、結構ストレスが溜まっちゃう。そんなことありますよね。あるので。

なので、そういうのが分かりやすい記法が欲しい。たとえばWiki記法とかMarkDownであればその辺りがかなり改善できる。でも個人用のメモとか文書とか置いておくのにWikiを作るのはどう考えてもコストが高い。MarkDownはメモにはいいんだけど文章としてアウトプットが必要な場面だと辛いかなぁ…って感じ。

そこでLaTeXを使うことにしました。コマンド何も覚えてないけどなガハハ!

で、こういう新しいものを使う時の鬼門って環境構築なんですよね。一番最初に一番高いハードル踏ませるのなんなん?

しかし世は大インターネット時代。今やほとんど聞かないシンクライアント的に、LaTeXを含めた多くの構築済み環境を使えてしまうのだ。なんということだ。ちなみに私はCloud LaTeXで全部書いてます。たすかる。

同じノリで、node.jsによるウェブスクレイピングをやろうと思ったら、Glitch.comっていうおあつらえ向きのサイトもあったし、今や全人類は環境構築というめちゃくちゃに面倒な作業から解放されているのではないか?!!?!?

しかしながら、環境構築を放棄できる、アウトソーシングできる、ってことは、LaTeXなりnode.jsなりの直接的なユーザーとして環境そのものに対する知見を得られない、ということでもあるんだよな。用意周到に準備された、環境パッケージサービスとして実現できていた、付加価値的な部分についても、元々のソフトウェアの機能と分割して考えることができなくなる、というか。高次的なサービスに特化してしまって、応用が効かなくなるというか。

便利なものを嫌って使わない、というのは馬鹿らしいことではあるけれども、その中身であるより物理的な部分を一切触らない、というのも怖いことなのかもしれないな。

電球はスイッチを入れるから光るんじゃなくて、スイッチを入れたら電流が流れるから光るんだってことを、当たり前に考えられれば、強い。