azusatokohaの日記

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津軽線はやっぱ廃線しちゃうんかねぇ

北海道新幹線の開業遅延と言われ始めたが、北海道新幹線と同じルートを通る「函館本線の山線」は採算が取れないとして廃止が決まっている。鉄オタは当然廃線になる事を嫌がって、決定した北海道を様々な様態でdisっている。インターネットは美しい。そこで槍玉にあげられるのが、JR石勝線から夕張市まで伸びていた「夕張支線の攻めの廃線」である。

夕張支線は、石勝線という特急列車も多く走る路線からちょろっと伸びる盲腸線なので、夕張市までの需要が路線の需要だった。という事もあり、夕張市の意向で廃線にできる(もしくは、配線にしないという事は夕張市の意向が重要であり、負担も求められる可能性が高い)特性の路線ではある。それを廃止し、攻めの廃線としてバス転換、定員の少なさを便数でカバーする増便策で利便性も向上させた。

しかし2024年問題・働き方改革を見据えたドライバー不足と高齢化で、バス本数を維持することが難しくなり、攻めの廃線が未来を見据えぬ失策だったと鉄オタが嬉々として叩いている。

夕張市の事例は、ひねくれた言い方をすれば地方自治体による民業への介入と言える。JRに対して入っていた利益を廃し、バス事業者に振り向けたという見方が出来なくもない。バスがそこを走らないのは「民間事業者の競争原理によって、鉄道に対しての優位性を見出さなかった」からなのに、民間(つっても元国鉄だけど)の鉄道を廃止させることでバス事業者に対して利するように仕向けた…というストーリーを語る事が出来そうだ。

でも、地方自治体の元来の目的は、その地方が抱える様々な特性や需要、そして課題に対して、持ちうるリソースを基に解決していく事が求められている。それは、誰しもが希求する権利を持ちうるべき生存権は言うまでもなく、モノの入手性や移動の権利といった地域住民の利便に対する便宜も対象になるだろう。

では地方自治の正解は「品ぞろえの悪い商店街を全て廃し、国道沿いにロードサイド店舗とイオンを誘致すること」だろうか?それは一つの可能性かもしれないが、真に考えるべきは街に並ぶ商品の種類数ではなく、住民の求める機能的・非機能的両面の需要に対する対応度であって、正解は地方自治体こそが知っている性質のものになると思う。

もちろん地方自治体が抱える地域によって需要は異なってくる。千代田区は全域に道路や地下鉄などが張り巡らされて、自然人・法人問わず住民も多くいるだろうが、東京都にとってそれは全域に広がる風景ではない。東京都は足元の23区の整備・需要満足は大事だが、だからといって奥多摩方面や島しょ部を切捨てられる訳ではない。

自治体間で意見の対立があることは自然であり、それを取り持つのがより大きな単位の自治体の役目として求められている面があると思うけれど、現実にはそれが果たされていると言い切れない場面もある。鉄道の話が続くが、JR津軽線は被災不通となった後、沿線2自治体の廃線同意に対する意見対立が続いていて、青森県が間に入るというよりも、JRが代替交通機関の提案などを主体的に行っているように見える。

JRはそもそも鉄道沿線のバス・タクシー交通に対して事業を始めようとしていて、そちらに転換し切る事を推しているらしい。いっぽう自治体としては鉄道による移動利便性というある種の神話を捨てきれていないようにも見える。こうなるとJRとしては採算の取れない路線であることとバス転換後の利便性を数字を以て示していくしか無いのだろうが、なかなか同意が取れていない。

こういう状況になると「嫌だという感情を数字で押し込める」みたいな構図になってしまうので、自治体が地域の需要を機能的・非機能的に言語化し、それを実現できる民間事業者を自ら取捨選択していく体制が必要なように思える。我田引水とは、田に水が必要であるという需要を理解してはじめて、我に利する行動が出来るものなのだから。