azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

軽率に「チャンネル登録ボタン」を押すとき、数字になった俺たちは何を伝えられるのか

YouTubeのチャンネル登録ボタンは何のために付いているんだろう?機能としては、「チャンネルのアップデート(動画投稿・配信・もろもろ)を通知する」ボタンだと思うんだ。しかし問題は「ベルのマーク(通知設定マーク)」、アイツの存在である。チャンネル登録をしつつ通知を受け取らないとは一体全体どういうことなんだ~!?天下のGoogleがそんな無駄な機能を実装するのか~!?

今のところ私は「バーチャルYouTuberのオタク」を激しく行っていて、かなり軽率にチャンネル登録ボタンをポチポチしている。1人の「チャンネル登録者」になったオタクは、その数字にいったいどんな意味を持っているんだ。

特にバーチャルYouTuberなんかはそうなんだけれども、YouTubeでいう「チャンネル」というものは、「人格という創作物」なんだと思う。そのへんはマグロナちゃんも言ってたね。「中の人がガワを被る」ではなく、「見せたい人格を目指して創作を続けていく」という性質のもの。その「作品」の表紙のようなものがチャンネルというページなんだよな。

じゃあ「チャンネル登録ボタン」に話を戻す。人格が創作され、チャンネルがその表紙であるならば…チャンネル登録とは、本を買う、のように、創作物を手に入れる行為になる。本でいえばチャンネル登録数は即ち購入数であって、「チャンネル登録は応援になる」というのは間違いじゃない…はず。いやぼく自身YouTubeをやっていないから知らんけど。

もっと言えば、「チャンネル登録」とは、「その人格に生きていてほしい」と願う数だと思うんだ。別に重い話ではなくて、「いいね!バーチャル人生楽しんでんね!」とか、「いい声してんねぇ!こんな声が世界に溢れてたら幸せだね!」とか、「面白そうな事してるね!そういうの嫌いじゃないよ!」とか。そんな話で良いんだ。「いい生き方してんじゃん」、そう思ったら軽率にチャンネル登録していこうぜ、世のオタク。タダなんだから。

そして、たくさんの人に「生きていてほしい」と願われること、これは大変なことだ。そして同時に、すごく面白いことでもある、と思う。いままでの生き方は、たとえば会社に勤めて、お金をもらって、ご飯を食べる。会社に「コイツは使えるな」、と思われる、つまり極端に言えば「誰か1人に、生きていてほしい、と思われる」ことさえできればよかった。でも今、副業だ転職だ、と、色々なひとに「生きていてほしい」、と思われなければいけない時代になりつつある。

そう考えると、100というチャンネル登録者数はもう大変なことだ。直接お金につながらなくても、100人に「生きていてほしい」と願われている。「いい生き方してるね」「そういうの好きだよ」そんな感情を100人から受け取るって、本当にすごいことだと思う。あるいはもっと沢山の人に「いいね!」をもらって、「この人には良いご飯を食べてほしいな」って思われたら投げ銭が行って、文字通りの生きる糧になる。それって、ある種すごく「これからの生き方」だと思う。

バーチャルYouTuber、あるいはそれに限らずYouTuberへのチャンネル登録数というものは、その生き方を肯定する人が居る、その数が可視化されたもの。だからそのまま突っ走って行ってほしいな。みんな、すごい人なんだから。