azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

「フレちゃんがうつになりまして。」 をよんで

ようこそ、自分語りハウスへ。今回は「フレちゃんがうつになりまして。」についての小学生並の感想文だから、まず作品を読んで欲しい。

アイドルマスターシンデレラガールズ」の2次創作ではあるけれども、そこまで前提知識が要るものではないから安心してまずは読もう。彼女らはアイドルとして活動している、学生だったり社会人だったり、様々な背景を持つ、1人の人間だ。それだけ分かっていれば大丈夫だから。

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うん、シリアス作品なんだ。済まない。人には好き嫌いがあるしね、謝って許してもらおうとも思っていない。

でも、あの作品を読んだとき、君は、きっと言葉では言い表せない「無力感」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした世の中で、他人の幸せを求める気持ちを忘れないで欲しい、そう思って、この作品を紹介したんだ。

じゃあ、小学生並の感想を聞いてくれ。


辛い。その言葉で済ませて良いのか分からない程度には辛い。

個人的に、こう心を抉ってくるような作品は結構好きで、こういった作品を読むたびに鎮静剤と生理食塩液を無限に静脈に流し込まれながらフエラムネを咥えて横たわったまま浅く呼吸したくなる読後感を得ている。

ふたりの主人公は、稀代の天才・一ノ瀬志希と、笑顔の結晶のような宮本フレデリカ。私がこの作品でいやらしいな、と思った*1のは、フレちゃんがうつになる、という点以上に、その看護を志希が行う、という点だ。

志希は、天才だ。化学分野に対する造詣はたいへんに深く、あるいはその作用に対する洞察も鋭い。それを示唆するように、フレちゃんの病状は、いちぶ明確な医学的、あるいは生物学的事実を以て示される。

フレちゃんは、ちょっと疲れちゃっただけなのだ。
脳内のセロトニンノルアドレナリンがほんのちょっとだけ減っちゃって、うまく心と体のバランスがとれてないだけ。
ただそれだけなのだ。

文庫版29頁より

他にあたしができることは、ハグをすることによってβ-エンドルフィンが多幸感を与えてくれるのを実証してみるだけ。

文庫版67頁より

そう、人体における神経伝達物質とか、そういう有機的な作用を知っている。医学の専門家ではないにせよ、医学的見識を少なからず持ち、フレちゃんの状態を正確に把握できる。寄り添い、理解できる。だからこその表現もある。次がその最たるそれだと思うのだが、このさらっとした一節が、重大な読後感に与える影響は大だと思う。

嘔吐反応、かぁ。
どうどう、今のはいちばん苦しい吐き方だねー。

文庫版35頁より

つまり、志希は生物学的な見地から、その辛さがいかほどかを理解し、いちばんの理解者として寄り添うのだ。この辛さは、絶対的な尺度である。フレちゃんと志希だけでなく、全人類に共有の表現だ。この一節に至る描写を伴って、あるいはそれ以上の科学的な説得力を備えて、フレちゃんの苦しみを、厚みを持って、饒舌に伝えてくる。想像し得ない苦しみを、これほどまでの描写として表せられるのは、志希というキャラクターの成せる業だ。

そう、志希は科学的なものの見方をする。いつだってそうだ。しかし、この作品の重大なテーマでもある、その芯の変質がまざまざと描写される。

フレちゃん。
音を拒んで、味を忘れて、色を失って、外を恐れて。
そんなきみは果たして本当にフレちゃんなのかな。
フレちゃんのはずなのにね。
どうしてこうなっちゃったんだろーね。
この病気を抜けた先にキミになにが残るんだろーね。

文庫版77頁より

ひどく感情的で、それだけに、上のような科学的な立場とは一線を画す。志希は、ずっと科学的なものの見方をしていた。が、徐々に、感情、悲しみ、不満、そういったものが顔を出してくる。たぶん、これは、芯の変質だ。

科学といえど、複雑怪奇な生物学に、疲弊してしまったか。目の前で起きた、予想だにしない変質に、振り回されてしまったか。あるいは、そのほか。

信じるものを見失い、あるいは何かが崩れ去る。崩れ去った先に待ち構えるのは、たぶん、崖のたぐいだ。階段のような救済措置はない。底に向かって、落ちるだけ。そういうことなんだろうと思う。論理の強さを失ってしまったなら、受け止めきれない責め苦が、慣れない感情を襲ってくる。

「この病気を抜けた先にキミになにが残るんだろーね。」強さを失い、目の前が真っ暗になった、戸惑いに聞こえるフレーズだ。

重ねて、強く自責につながるシーンがある。論理で見つめられなかった感情を悟り、救いのない迷路へと足を運んでいく。

なんて、愚かなんだろう。
ギフテッド。
(中略)
なんてね、そんなこと、だれにもいうつもりはないけど。

文庫版93頁より

救いがねえ

(言い方は悪いが)科学に縋って生きてきたならば、それが崩れ去った時、残るのは弱い人間だけ。そして、今まで科学を身に纏っていた後悔が襲うのは、科学を失った、生身の人間なわけだ。その筆舌に尽くし難い重さ。言ってみれば、過去の全否定だ。

「忘れたままでいたかったわ。今まで自分が、いったいどれだけの人の心を踏みにじってきたかなんて…」これは「魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」のセリフだけれども、これと通じるものがあると思う。

全てを失う、過去を悔やむ。それはもう、自分に過去との連続性を失い、新しい一人の人間として歩んでいく事になるだろう。その行く末の決断は、あまりにも、残酷である。


この作品は、また以前と同じ共同生活に戻ることで終わる。しかし、志希は重大な変質を経ているわけで、ある意味で新しい生活だ。

いちど自分を見失った志希に、救いの手を差し伸べたのは、フレちゃんである。ならば、この先に待ち受ける物語は、苦しい共依存なのであろうか。

明るい物語の結末を、どこか受け入れられない気分でいる。

*1:勘違いしないで欲しいのは、決して批判的な意味ではなく、この人選が、作品に独特な読後感を持たせるという意味で、たいへんに重要な意味を持っている、そしてその読後感に幾度となく無力感を覚え、まったく大変な作品を作ってくれたものだな、と横たわって悶々としている、という意味で、心にぶっ刺さる、いやらしい設定なわけだ