azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています

はてなブログ様では、ブログを90日更新していないと、少し大きめの広告が表示されるようになる。こんなブログに広告出しても仕方ない気がするが、なんとなく更新しとくか、という回です。

今のところ100日くらいの間が空いているんだけれども、100日といえば最近は「100日後に死ぬワニ」に端を発したと思われる、100日間形態とでもいうべき作品形態をよく目にする。広告でも流れてくる。こう、色々と言われてた作品だけれども、企画形態としてはすごい上手い作品だったよな、と改めて思った。

「100ワニ」は、別に毎日更新を初めてやったという訳ではない。たとえば『きょうの猫村さん』という作品は、100日という期限を設けずインターネットで毎日連載していたし、テキストサイトなんかも簡単な日記を毎日更新していた。最近はやりの漫画アプリは、毎日数話が読めるような仕組みになっているし、毎日という括りを外せば、週刊漫画誌なんてとうの昔から同じことをやっていたし。

じゃあ何が上手かったのか、というと、興味の引きやすさと、今のインターネットに合ったスピード感、あとは広告としての作りやすさなんだと思う。

100日という期限を設け、さらにタイトルで何が起こるかを示したことで、興味を引く。興味を引くと、行動に移す。それは、次の日に必ず見に行く、であったり、拡散する、誰かに教えるという行動を取り得る。気になるから、受け手が能動的に動き始める。

(唐突に関係ない作品貼るな)このハンバーガーちゃん絵日記もすごく「それ」だな~って思って、上半分だけならただ「ガソリンスタンド店員が暇つぶしに、ひじがアゴに付くか試してた」漫画なんだけど、これを受けてハンバーガーちゃんも試すから、「試す流れ」ができるんかな。「店員、暇すぎでしょ」だけで終わらず、「気になったから、試してみた」を一回挟むことで、読者も「気になった」の渦に巻き込めるというか。

そういう能動性を持たせることができる形式は強い。興味を持たせる形式として、全体の起承転結があり、毎日一定量の供給があるというのも強い。インターネット文化って凄い速さで流れるプールになってしまったから、明確な物語の転がりがないと、全く見向きもされなくなってしまう。100日という縛りは、ある程度中期的期間での終わりを明示しつつ、現状と全く異なる結末をタイトルで示しているので、そこへ至る起承転結が気になって、能動性に巻き込める。

かつ、広告で流すにしても、起承転結の一部分でも広告し、気になってもらえれば、あとは能動的にこちらに見に来てもらうことが出来る。かつ、その人は次の「身近な」広告塔になってもらうことさえ可能かもしれない。ファンになってもらうというゴールへのコンバージョン率、結構高くなるんじゃないですか?

そして、その手法の有効性を身をもって、あるいは遠巻きに認めた人たちが多いことは、今100日形態の作品が結構増えていることが証明している。はず。

インターネット武器屋は、オープンソースなので、マジの天才しか務まらん、儲からん職のようだ