『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』を見てしまったせいで、だいぶそれの思考になってしまっているんだけれども(影響されやすい人間の例)、それになっちゃった。地球は平面だな~~~~
お勉強ができる人たちの、お勉強ができない人の人権を剥奪したいお気持ち、最近隠すこともなく露骨に出すようになってきたな。人類に人権は早過ぎた
— 日本農園 (@nihonnouen) January 15, 2021
人間って自分の事だけが既知だから、他人の出来不出来を酌めないみたいなところが恐らく往々にしてあって。自認識として、義務教育をきちんと受けて、これくらいの教育レベルに達している、とか、そういう世間一般で平準化された基準に自分の立ち位置を当てはめて、自分がそこの平均か~っていう見方になってしまう。これ自体は自分の知識レベルだけが既知であり、かつ自分が行ってきたことの他人との差異が明確化されにくいっていう状態から起こる、わりと普通の事だと思うんだけれども。
私もやりがちなんだけれども、そうすると「自分がこれを知っているなら全員知ってますよね」的なスタートラインの引き方をしてしまう。ここの知識については共有事項ですよね、じゃあその次から始めましょう。そこに待ったを掛けられると、何であなたはそれを知らないんですか?これはマウンティングとかじゃなくて、本当に予想外で、ある種パニックになっちゃうんだよな。特に自分と同じ知識レベルだと思っている人からそれをされると。
で、そのパニックは想定外事象なので、ストレスになる。特にぼくは社会的経験値が低いので、他の人間との知識レベル共鳴能力がないんだよな。今どこまで共有できているんだ?何をどこから認識合わせしていかないといけないんだ?いちからか?いちからせつめいしないとだめか?
特に、それが単純な知識とか、単語的・機構的な記憶なり知見であれば、具体物として改めて共有すればいいだけの話なんだけれども、思考プロセス的な問題とでも言えばいいのか、たとえば機械構成なり信号伝送なりの話で待ったをされちゃうと、自分でもそこを感覚的なものとして掴んでしまっているぶん、上手く伝える事ができずにフリーズしちゃう。いや分かるでしょ、ここにこういう信号が来てるんだから出力はこれになるの!!!分かれ!!!!!の気持ち。
私は凡人ないし下の層で、躓きがある上でこれだから、まあ「お勉強ができる層」にとってのこういう言語断絶というか思考断絶ってかなり高い壁になってしまって、一種のパニックの末、バカは喋んな、となってしまうんだろうな。「地球平面説~」にもあったけれども、「お勉強ができる層」は「お勉強ができない層」の気持ちは分からない。バカは喋んな、ないし、分かれよ、何で分からないの?になってしまう。そこの部分が分からない、っていう気持ちが分からないから苛立ちも募る。感覚としてその思考回路を得てしまっていたなら尚更、身に付け方も伝えられない。
そうなると、あとは地頭を罵るとか、反知性主義のレッテルを張るだとか、そういう決定的断絶の行動を取るしかなくなっちゃうのかな~
人類に生は早い