azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

まだPrime Videoで消耗してるの?

きのうはNetflixを契約してみました。水曜どうでしょうが見られるため。ぼくは新しい映像プラットフォームを見ると、ドキュメンタリータグを漁ってみるという性癖を持っているため、御多分に漏れず見てみたところ、けっこう良質なモノがあったので、それの感想文です。

ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-(ダニエル・J・クラーク監督、2018年)。Wikipediaだと、「様々な視点から地球平面説の検証が行われる」とされているけれども、もうちょっと意地の悪い映画に見えちゃったな。かなり良質な映画だった。

社会的に一定度の先進国における義務教育で与えられる程度の教養を持ち、それを理解し、あるいは理解せずとも記憶している立場では、「地球は平面である」という主張はばかげたものであるけれども、それを「再発見」し、心からそれを信じ、世界に真実を知らしめんとする人たちが被写体のドキュメンタリー形式映画。

映画では、地球平面説を信じ、それを世界に広めようとするコミュニティ、それに属する人たちと、ひと言でいえばアカデミズム側の人たちの見解を、交互に見せている。その見せ方が、なんというか嫌らしくて笑っちゃったな。

たとえば、地球平面説側の人間が、Flightawareで南半球上の都市間を直行する航空便が無いことを「発見」し、南半球上の都市同士の距離が非常に大きいからという理由をもって、地球が平面である事の証拠として挙げると、アカデミズム側の人間はFlightawareをggって南半球の都市間の直行便を見つける。とすると、たぶんそれを「発見」した人間は、洋上電波が届かず表示できなかったものを不存在とみなしてしまったわけだな。アカデミズム側の人間は、沿岸部の機体の機種方位から可能性のある便を見つけて、プロパティを確認して反証できる。

これは単純に平面説側の証拠を反証していた例なんだけれども、やがてアカデミズム側に「心理学者」が出てくると、なんというか大変なことになってくる。楽しい。

「誰もがユニークな絆で人とつながろうとする、そのアイデンティティが奪われることを人は皆恐れるものだ」

コミュニティを創る、そこに所属し役割を持ち、その立場を維持する。それって地域的なローカルコミュニティとか、古の通信が担えなくなってきたもので、そうするとインターネット上のコミュニティ上でそういう立場を得ないと中々自身の立ち位置というものが得られなくなる。かつ確立したアイデンティティを保つためにも、一度所属したコミュニティから離れられない。かつ、それが思想と結びついてしまった時。

「心理学者」がそういう心理を解説し、全くそれ通りに事が運んで行くような演出。こう、力の差みたいなものを感じてしまって、辛い。残酷を感じる。