azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

名立たるものを追って 輝くものを追って

プロジェクトX。ご存知の方も多いと思うが、NHKのテレビ番組である。この番組は、度重なる困難・試練を乗り越えてあるプロジェクトを成功させた人々のドキュメントである。この番組を見るたびに、「ああ、私もこんなに熱くなって仕事したい!」とぼやいてしまうのである。密かに、私はこの病気を「プロジェクトX症候群」と命名している。

(中略)「現場から帰る途中で脱輪してしまった公用車を脱出させる」プロジェクトくらい軽いものでもよい。熱く楽しく仕事がしたいのだ。

林道研究会「林道 新しい山村を創る」39巻5号 (No.373) 2002年8月 p.29 『プロジェクトX症候群』山津理香

運用~!ってなっちゃった。

なにかそこに理念であるとか、具体的な目標地点、具体的な成果物が明確にある時って、その進捗率が単純に見えやすいし、あとどれだけのタスクがあるのかが分かり易いから、熱が入りやすいというのがあると思う。対して、何かを維持管理していく、運用フェーズに入ってしまえば、現状維持で100点、何かを間違えたら即落第。ある種、凝り固まった状態を保つことが目的であって、創り上げる喜びっていうものが乏しい状態が続いてしまう。

運用フェーズを蔑ろにしてはいけないんだけれども、あいてぃー業界を見てみても、下流工程=技術不要の人月現場、みたいな印象が否めないし、上流工程で規定された維持管理の方策を愚直に実行していくだけなら全く正しい感覚ではある。新人は運用フェーズから、というような風潮もあって、それは間違った思想ではないと思うんだけれども(下流工程の現実を知らないままに上流工程に進む恐ろしさ)、その風潮も運用軽視に拍車を掛けているように思える。

だが、運用だって哲学というか、理念としての目標はあるわけで、「今あるものを維持管理する」その価値基準自体がつまらないと言われてしまえばそれまでなんだけれども、それが野心的な目標になり得ないということはないと思うんですよね。あらゆる障害を排して、常に使ってもらえる状態に保つ。それは実際並大抵のことではないわけで。運用フェーズ「だから」レベルが低いという思想は危うい。

そして、運用当事者自身が、「どうせ運用だから」という感覚に陥ってしまうことで、本当なら一定の理念の下に様々な試行錯誤が可能であるはずなのに、敷いてもらったレールを愚直に走る事だけを考えてしまって、運用という工程の存在を高められないでいる、という悪循環のサイクルになっていないかという事を考えてしまう。新人だから運用か、運用だから言われたことをやるだけか、何も考えないから何も面白くないな。そのサイクルは、きっと誰も幸せにしない。