azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

何のんきにブログ書いとんねん殺すぞ

インターネットなのか、言論的正しさなのか、この正しさの基準って遡及するので、長く物を認めていればいるほど不可避だよなぁ。そうです、ファイブ・リング・フェスティバルの話です。

「何のんきにパズドラしとんねん殺すぞ」で有名になったやつなんだけれども、このポリシー(2019年3月版、2021年7月閲覧)では「何のんきにパズドラしとんねん殺すぞ」とツイートすることは認められている。でも、2021年8月版時点で認められているとは限らないし、この基準はあくまでもTwitter社がユーザーアカウントをロックしたりする基準として運用されているやつなので、社会では「何のんきにパズドラしとんねん殺すぞ」が認められないかもしれない。もし今の社会で許されていても、来年は許されないかもしれない。そして、その基準値は2016年のツイートに遡及し得る。

言論がテキストとして飛び交い、それが保存され、メタ情報が付けられ、インデックスが付けられ、検索性のあまりにも高い状態で、しかしその発信の文脈から完全に切り離された状態で存在しうるインターネットは、遡及による処刑とめちゃくちゃ相性がいい。あらゆる背景をコラージュして、発言の一端だけを捉えて刑場に上げることができる。

そうなると、今後どのように変化するか分からない発言の倫理基準におびえて暮らすよりも、発言の主体を自身から分離可能なキャラクターに載せて、あるいは自身という存在を覆い隠す匿名性をもって発言するのが一番安全になってしまうな。前段の仮定を念頭に置くなら正しい手法なのかな~と思うんだけれども、結局匿名化した安全な立場って、いつしか肥大して匿名性が前提の発言につながってしまう気がするんですよね。そうなると最早「何のんきにパズドラしとんねん殺すぞ」は飛び越えて、初手匿名「殺すぞ」単純化リプライマンが仕上がってしまう。

それで幸せになることはないんじゃないかな~と思うので、法は遡及しないという原則を守った方が良い気はするが、インターネットはインターネットの罵声で治安が保たれているので、何百万年も遡及してキリストを叩いてる。

日本は軍隊を持たない平和な国家です