azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

費用便益比=1.1

経営理念モデルというか、大目標、それに対する中期計画、さらにタスクレベルに落とし込む階層モデルって中々良いなと思っていて、何にでも使いたくなっちゃう。単純な人間なので。

たとえばコミュニティ(あらゆる組織を含む人間の集団という意で)の存続にしても何の為のコミュニティなのかという意義ポリシーみたいなのを策定しておく、っていうのは運用のやり方上ものすごくやり易い。そこが定義されているなら、あらゆる行動とアプローチの価値判断基準がそこに示されるわけで。

well-definedであるほど、y/nに答えやすいというか。費用対効果を持ち込んでみたときに、費用はまだ単純なんだけど、便益ってやっぱり価値判断基準が無いと測定できなくない?っていう。

自動車を運転するときに、価値判断基準を到達所要時間に置けば、多少速度違反したって早く着いたほうが価値のある行動になる。便益の計算軸をそこに置いたからね。

コミュニティの存続について言えば、たとえ趣味的であっても、いや趣味的であるからこそ、何をするための場なのか、っていう軸があった方が良い。古くからのコミュニティってそういう軸がちゃんとしている気がして、たとえば発起人による憲章が定まっているとか、何か活動の上でのテーマがあるとか。恐らく、少なからず現実的な資産の上で物事を動かしていた、インターネットに完結していないコミュニティだからなんだろうか。

それはとくだん何かの実現みたいなことを掲げなくてもよくて、むしろコミュニティの維持そのものが理念であってもいい。居心地の良い場を保つ、それ自体を理念化する。もちろんコミュニティの維持だって簡単な話という訳ではない、Going Concern. コストを払って場を保つのは立派な戦略。ゆるやかな維持と衰退の阻止。

そういうものを掲げられないコミュニティって、結局の所瓦解するしかない。何のためにそこが動いているのか不透明になってしまって、どこかが歪む。断層化する。各々が違う方向を向いてしまって。

あるいはそれで瓦解するコミュニティはまだ健全で、むしろ対外的な需要を持ってしまっているとまずいのかもしれない。即物的に需要を満たして、ひび割れたまま回っている。そうなると、どうしようもない気がしてくるなぁ。

あるいは有能なコントローラーを置くか。そうなると、コントローラーだけが道を決めて、あとはただ歩いているだけになってしまって、辛い気もするんだけど。

幸せになりた~い