azusatokohaの日記

人生ラバーダッキング会場

脳をエタノールに浸すことでインターフェースとして完成する

普段よりろくな事書いてねぇこのインターネット不法投棄会場ですが、今日は特別企画なので、少量のエタノール無限遠になった意識が綴るままの、何の文章構成もない何やらをそのまま載せます。酔っ払いやがって。

特別企画なので、特別にお膳立てをした、プレミアムなやつということです。そういうことになった。


Pixel5くん(というかAndroid 11)に搭載されている機能の一つとして、返信サジェスト?っちゅのがある。Gmailにあった定型文返信を1ボタンで!ってのをあらゆるメッセンジャーアプリの通知に対して拡張したもので、たとえばbotがお知らせを飛ばしてくる度に、「ありがとうございます」をサジェストしてくるので、面白がってたまに押してる。

まあ一言二言返すのがワンタップで済むっていうのは便利な機能だな、と思いつつ、さすがにプライベートな内容でサジェストを出されると多少不愉快ではある。つまり、あらゆるやり取りについて、Googleが覗き見していて、その結果としてのサジェストがそこにある、それが見て取れるのが、まぁ気の利かない奴だな的な不快感を産むわけだ。

この不快感は一般に「Googleがプライベートなやり取りを覗き見している」という不快感に解されるだろうけれども、これはむしろインターフェースの問題に帰結するのではなかろうか。つまり、直接的な不快は「Googleがプライベートなやり取りを解析して適当な返信候補を提示してきた」という事象に対してであって、プライベートな内容だと判断した時点でサジェストを表示しないという解決法を取ることが出来る。

人間はえてして「そこに無いもの」には気付かず「有るもの」に反応しやすい─というふうに思っているけれども実際どうなのかは知らない─ので、そこに有りさえしなければ、そこに物が無いという過程に考えを巡らせるようなことはない、というわけだ。

プロセスに大差があるわけではなく、文脈上適切なサジェストを提示するか、文脈上見なかったフリをするのが適切か、という判断を加えるだけであるのだけれども、そこに「検閲」を通過した証がないだけで、通信の秘密が守られた、というように感じてしまうのではないか。

インターフェースは、技術そのものを表現する場としてあまりに雄弁である。ときに技術そのものの価値よりも高い価値を見せ、ときに技術そのものの本来の価値すら包み隠してしまう。そして、技術そのものがまるで存在しなかったかの様に立ち居振る舞うこともできる。

これを、インターフェースによって顧客体験を守ると言うべきであるのか、あるいは技術の侵略を隠蔽していると言うべきであるのか、何に正義があるのかは分からないので、今日も脳を十分な量のエタノールに暴露する。